宮島には「宮島伝統産業会館」という宮島の伝統工芸品が展示されている場所があります。
桟橋のすぐ近くにあるので、宮島をご散策なさるまえにふらりと立ち寄ってもいいかもしれません。
宮島は杓子で有名ですが、ここでは色々な杓子が見ることができます。
今回はこの杓子について掘り下げていきたいと思います。
まずは杓文字と杓子の違いは?
広辞苑には次のように書かれています。
杓子・・・・・飯または汁などの食物をすくいとる道具。頭は小皿のようでこれに柄をつけたもの。
杓文字・・・飯や汁などをすくう道具。特に、飯をよそう道具。
つまり、飯をよそうものが杓文字で、飯をよそうだけでなく汁などをすくうのが杓子です。
宮島では、飯をよそう杓文字を杓子と呼んでいます。
そういえば「おたま」のことを「たま杓子」とも言いますよね。杓子はご飯の他にも味噌汁などの汁物にも使用するものなのです。
では、その名前の由来はというと、
室町時代の文献には、「しゃもじ(杓文字)」ではなく「しゃくし(杓子)」と記述がしてあり、「しゃもじ」とは呼ばれていなかったようです。
では、いつから「しゃもじ」と呼ばれるようになったのでしょうか。
「しゃもじ」と呼ばれ始めた由来としては、室町時代の初期に宮中に仕えていた「女房(にょうぼう)」と呼ばれる身分の高い女性の使用人達が関係しています。
その女房達は、彼女達の間だけで通じる「女房詞(にょうぼうことば)」とよばれる専門用語を使用していて、ある時、言葉の一部を「もじ」という言葉に置き換える女房詞が流行したそうです。
この「もじ(文字)」という言葉は接尾語の「文字詞(もじことば)」というものになり、これを付けることで、上品な言葉遣いになるとされ、主に衣・食・住に関するものに用いられていました。
そのため、「しゃくし(杓子)」の「くし」が「もじ」に置き換えられ、「しゃもじ」と呼ばれるようになったと言われています。
他にも、接頭語の「お」のように、言葉の最初に付けることで丁寧さを表す言葉なども女房詞から由来しています。現在でも用いられる言葉であり、「おにぎり」や「おでん」・「おなら」などもこれから由来しています。
「もじ」の他の例としては、「ゆもじ」(浴衣(ゆかた))・「おめもじ」(お目にかかる)・「すもじ」(寿司)・「ひもじい」(ひだるい)などがあります。
この「文字詞」はその後、将軍家に仕える女性に伝わり、次第に武家や町家の女性へ伝わって様々な人に使われるようになったとされています。
宮島で「しゃもじ」が作られるようになったのは、一人の僧侶の提案が由来となって作られたと言われています。
寛政の頃(1800年頃)、宮島の神泉寺の僧・誓真という人が、ある夜、弁財天の夢を見てその琵琶の形の美しい線から杓子を考察し、御山(宮島の弥山の別名)の神木を使って、主な産業がなかった宮島に「厳島弁財天」の持っている琵琶(びわ)と形を似せてそれを宮島参拝のお土産として作ることを島の人々に教えました。
この神木の杓子で御飯をいただけば、ご神徳を蒙り福運をまねくという誓真上人の高徳とともに、宮島杓子の名声は世に広く宣伝されています。
その後、この「宮島杓子(みやじましゃくし)」は、「弁財天の福を招く」と反響を呼び、1894年~1905年の日清戦争や、日露戦争の時代には「敵を召し取る」縁起物として広まっていくこととなりました。岩惣に当時の天皇家や軍部の司令官がお越しになられたのも、そういった戦勝祈願で厳島神社にお越しになられた背景もあるかと思われます。
また、弁財天は学問・豊穣・繁栄・勝負事の女神となっていますので、さまざまな「幸せをめしとる」縁起物として大変人気があり、『勝負運』や『商運』に良いとされ、今や広島カープの応援には欠かせないグッズとなっています。
時代とともに杓子を求めるニーズは変化していますが、宮島の杓子は今日でもお土産品や家庭用品としてお求めになる方が多数いらっしゃいます。
そして杓子を手作りなさる職人さんも残っており、この伝統産業を次世代へとつないでいこうとしています。
何だか聞いたことのある響きだな、とも思ったのですが、わかりました!!!
「猫もしゃくしも」です。
ひょっとしたら、とも思い、インターネットで検索をしてみました。
著者の考えはあたりました。
「しゃくし は猫の手に似ている。忙しいときは猫の手でも借りたくなる。」
よって、この言葉が生まれたそうです。
面白いですよね。
宮島の伝統産業を知ると、また、宮島のことが好きになりました。
もっともっと、この地に長くいたいと思うばかりです。