「長電三番」とは 岩惣にある古き良き物達③
- 2024年02月08日
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岩惣には現在店名が記された看板が3個あります。
そのうちの一つ、厳島神社から岩惣に向かう上り坂を登り切ったところを右に入ったところが現在の入り口になっていますが、この看板はその登り坂を登り切った角の手前に飾られています。
「岩惣」の屋号の他に「もみじや」という屋号が刻まれています。この屋号が商号登記されたのが明治36年(1903年)ですから、120年近く前以降の作品かと思われます。
「いわ惣旅館」が金色、「宮嶋」が青色、もみじが朱色、波が白色と当時としてはかなりカラフルで鮮やかだったことが想像されます。
ここで気になったことが「いわ惣旅館」の文字の右にある「長電三番」という文字。何となく電話番号ではないかと推測はできますが、はっきりとした記録が残っていません。そこで今回はこのテーマを深堀していきます。
この「長電三番」、実は電話局の略号であったことが判明しました。「長電三番」はこの宮島町の地域番号であったようです。何故宮島町が長電の略号であったのかは、昔この地区に”長”のつく地名が他にあったのか色々と調べてみましたが、そのような地名は見当たらず、今でも謎です。
当時の電話はまだ、発信人がハンドルを回して受話器を取って電話交換手を呼び出し、彼女がつなぐシステムでした。 別の市や局だったら、市外回線が空くのを待って、その局を呼んでそちらの交換手が目的の番号の受信者を呼んでいました。
すなわち、当時の電話の方法は電話の受話器を取って、電話交換手に「長電三番」の「岩惣旅館」をお願いしますというと交換手がそちらの配線のジャックを差し入れて回線をつなぎ、受信者(岩惣側)を呼んでいたと思われます。
調べによると当時の逓信省の加入電話は、1950年代までこんな手動方式で、初めてダイヤル式電話機である3号自動式卓上電話機が発売された1933年から遅れて30年、1962年600型自動式卓上電話機が普及しだして、徐々にダイヤル自動接続に移行していきました。
ご年配の方々には聞き覚えのある昔のCMで
♪カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂♪~
というフレーズがまさに当時の電話の掛け方だったと思われます。
(同CMが初めてTV放映されたのが1962年(昭和37年)だそうです。60年前でもまだ電話は交換手を呼び出していたのですね)
当時としては一般家庭に電話機があるのは、かなり裕福な家庭であったと思われますので、看板に電話を置いていますよというメッセージを記すことで、岩惣もそれを誇示する狙いがあったのかもしれません。
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