今や超貴重な手延べガラス(本館、離れ)の窓ガラス 岩惣にある古き良き物達②
- 2024年01月31日
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岩惣の本館は明治25年、伊藤博文が「紅楓閣」と命名されたと記録に残されており、当時の建築様式が何度かの修復工事を繰り返しながら現存しております。
また離れにおいても、大正13年の「龍門亭」を皮切りに、度重なる台風や土石流での被災を乗り越え、修復再現し現存しております。
その本館の客室の窓越しに紅葉谷川のチラつく雪を撮影したのが下の動画ですが、
何かお気づきになりませんでしたか?(ごめんなさい。心霊写真ではありません。)
実は動画が下にターンする際、画面が歪んで見えませんか。
これは本館の窓ガラスが手延べガラスといって、手作りの板ガラスだからなのです。
日本では現在、建築用の手作りガラスを作ってなおかつ流通に乗っているいるものはまず無いといわれています。あったとしても相当高いと思います。昔のガラスは透明に見えてもちょっとだけゆがんでいたり、非常に面白い表情を していますが、それは歪んでいないガラスを作るほうが難しかったから。人件費が安かったので、ガラス職人が模様つきガラス(型板ガラス)も手作りで作っていました。技術が発達し、透明でゆがみのないガラスをローコストで生産できるようになると、みんながこぞって使い出し、手づくりのものは消えていったという歴史を背負っています。
現在一般的に使用される窓ガラスは製造技術の向上により、ゆがんでいることはありません。一方で、明治ごろのガラスは職人が手吹きで一つ一つ作っていたため少しゆがんでいるんだそうです。
スッキリとした景色を見ることができる現代のガラスももちろん素敵ですが、手延べガラス越しに見える少し揺らいだ景色はアンティークな魅力があり、また違った楽しさがあります。
このようなガラスは強度が足りず割れやすいということもあり、現在では製造が終了してしまっています。
当館の本館や離れは明治から昭和の初期までに作られた建築物で、当時の窓ガラスはすべて手作りの手延べガラスでした。度重なる天災などで幾度となくガラスが破損し、修復を繰り返してきています。ただ今後災害が発生しますとこの手延べガラスを製造する職人がおらず、工場で製造する板ガラスや鉄線入りガラスになってしまいます。
現在のところ、本館の一部に手延べガラスでない窓がありますが、古き良き温かみのある手延べガラスは日本の文化として残していきたいものです。
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