元気がでる広島飯
- 2024年04月30日
- ブログ
広島にはとびっきり元気がでるグルメがあることを、皆様ご存じですよね?
そうです! 言わずもがな「お好み焼き」です!!
筆者はもともとお好み焼きが好きなのですが、今までは「関西風」しか食べたことがありませんでした。
宮島に来てから周りの方々に「広島風」と「関西風」の違いを学ばせていただきました。
~広島風~
薄く焼いた生地の上に、具材を重ねていく焼く。さらっとした生地を薄く伸ばして焼き、キャベツや具材を順番に重ねていく。焼きあがったら裏返し、焼いておいた麺の上に重ねる。いわゆる関西風の混ぜ焼きではなく重ね焼きが広島風になります。
そして広島県人は鉄板の上のお好み焼きをヘラで切り分けて、箸で食べるのではなくそのままヘラで食べるのが当たり前のようなマナーになっています。
せっかくご縁あって宮島に訪れているのだから、もっと広島のことを知りたいのです。
こうして私は何件ものお好み焼き屋さんをはしごしています。
その中のひとつに「お好み村」というビルに訪れたことがあります。4階建てのビル一帯がお好み焼き屋さん!!それぞれのお店がビルの中に立ち並ぶ姿は、アミューズメントパークのように見えました。
メニューを見たら、そのお店の個性が現れますね。焼きそばを選ぶ方が多いかもしれませんが、筆者はうどんが好みです。皆様はどちら派ですか?
お好み焼きには不思議なパワーがあります。良いお天気空を見て元気がでるように、美味しいお好み焼きを食べると元気が出ます。
そもそもお好み焼きは戦後の復興時、物資不足でも鉄板1枚あれば調理できる料理として発達しました。当時広島は鉄を扱う町工場が多く、鉄板が比較的容易に手に入りやすい環境もあったことがその要因であったともいわれています。戦後すぐの頃は米軍が配給していたメリケン粉(小麦粉)を水で溶いて薄く延ばして焼いた皮の上にネギを刻んだものだけを乗せたいわゆる「一銭洋食」だったようです。
民家の一角でも簡単に調理できるお好み焼きは、戦中にご主人をなくされた未亡人の方が始められた店が多く、今でもお好み焼き屋さんの屋号に「〇〇ちゃん」と人名がついた名前が多いのは、亡きご主人の名前を付けた店が多かったという背景があるようです。そういった話を伺うと何か複雑な気持ちにもなりますよね。
次第に物流が復興してくるとそこに麺やキャベツを加えていき、広島風の原型が出来上がっていきました。
当時はどんな食材も満足には手に入らなかったでしょうから、お好み焼きでお腹を満たすことはとても重要だったことでしょう。ですから、東京のもんじゃなどのようにおやつ感覚で食べるものでなく、しっかりとした食事として今でも広島では夕食などに出てきます。
本当に沢山の数がある広島のお好み焼き屋さん、どちらにいかれても美味しいと思います。広島にお越しになったら”通”ぶってヘラで召し上がってみてください。
是非、お気に入りのお店を見つけてくださいね。
【参考HP】